ヴィッセル神戸、設立の経緯・1-ヴィッセル神戸、設立の経緯・1- 神戸とフットボールの関わり1993年Jリーグ開幕。日本列島はサッカーブームに沸いた。 参加チームは10チーム。しかし、その10チームの中に「日本サッカー発祥の地」 神戸の名は無かった―――― 古くから日本を代表する国際港を持ち、異文化との交流が盛んだった神戸。 1985年にユニバーシアード大会、1989年にはフェスピックを開催し、成功させた神戸市は 日本で逸早く西欧のスポーツに親しんだ街の一つでもある。 テニス、ゴルフ、そしてサッカーなどの日本発祥の地と言われ、神戸に居留する 外国人が中心となって組織したKRAC(神戸・レガッタ・アンド・アスレチッククラブ)が 1888年(明治21年)にYCAC(横浜・クリケット・アンド・アスレチッククラブ)とサッカーで対戦、 2-1で勝利した試合は日本最古のサッカー対抗試合として記録されている。 翌年、神戸の御影師範学校に日本人だけの初のサッカーチームが誕生。 その後、卒業生達はサッカーの普及と指導にあたり、全国にサッカーを広めていった。 大正時代から昭和初期にかけて、神戸は日本サッカー界の中心、覇者であった。 御影師範学校や神戸一中、関西学院などが日本一になり、当時の日本代表に神戸出身の選手を多く送り込んでいた。 1888年当時のKRACフットボールチーム 近年に至っては、1963年(昭和38年)に「神戸サッカー友の会」が誕生、 1970年には日本サッカー界で最初に法人化されたフットボールクラブ、「神戸FC」が設立、 神戸の草の根サッカー振興を支えてきた。全国に先駆けて1971年からは神戸FCに習って 出来始めた全国各地のクラブチームを招待、「ジュニア・サッカー・サマーフェスティバル」も 開催している。また、奈良の少年刑務所との交流戦や高校の大会に参加できなかった 朝鮮高等学校との交流などの活動と実績によって、当時の神戸FC常務理事であった 加藤正信氏(故人)に関西スポーツ賞(1969年受賞)、1965年から続けてきた 神戸少年サッカースクールに兵庫県スポーツ賞(1970年受賞)が授与され、 1977年には文部大臣より社会体育優良団体として表彰された。 この頃から神戸FCは誰もが楽しめるサッカークラブとして各年齢別のチームを作り上げ、 3歳から80歳以上の人まで男女約1600名がプレーするJリーグの理念である地元地域に密着したクラブに成長した。 神戸FCとその推進者であった故・加藤正信氏は、学校スポーツと企業スポーツしか知らなかった 当時の日本に地域スポーツクラブの土台を築いた。この功績はサッカー界だけでなく、 日本スポーツ界における特筆すべき歴史の1ページという事が出来る。 ~つづく~ ※本ページに「日本サッカー発祥の地」とありますが、 神奈川県の横浜も「日本サッカー発祥の地」と言われております。 (詳しくはインターネットや書籍等で調べてください) しかし、歴史的観点などを考えた結果、私の見解としては 『神戸は「日本サッカー発祥の地」』 『横浜は「近代サッカー伝来の地」』 と考えておりますので、ご理解下さい。 ジャンル別一覧
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